思い切った行動は、最大の ピンチ を最大のチャンスに変える
排斥運動という形の最大の ピンチ を迎えた日野商人。
こんなピンチに追い込まれた時、何もしないことが1番のリスクになりますが、往々にして老舗企業ほど、伝統を重んじるばかりに危機の時こそ抜本的な対策ができません。
そのために淘汰されてしまいますが、日野商人たちはこの最大のピンチをひっくり返して、最大のチャンスにしてしまいます。
では、どのようにしてひっくり返したのか、具体的その内容についてみていきます。
行商から店舗商いへの転換が日野商人の独自性を生む
商いの始まりは、洋の東西を問わず同じで、地元の産物を他方に持って行ってそこで商売をして、売れた代金でその地方の産物を持って返って地元で売ることで利益を得るものです。
大航海時代にインドのコショウが金と取引されていましたが、見た事がないものは高値で取引されました。
これが貿易の原点です。
相手があまりに儲け過ぎると摩擦が起きます。
米国と中国が関税の引き上げ合戦で貿易戦争をしていますが、これは今も昔も変わらないようです。
排斥事件というピンチに遭って、日野商人たちが考え出したのは、行商時代の信用を基に「店舗」を構えることでした。
行商から店を構えるという発想に転換したことから、2つの効果を日野商人達は得ています。
1つは、商品の拡大、もう1つは、業種の拡大です。これは動物病院にも言えるかもしれません。
農民にお椀を売っていたことで、お金で払えない農民は現物のコメで支払いました。
そこで日野商人は現物納付されたコメから酒、醤油、味噌、酢などを作るようになっていきます。
右から左に商品を売るだけの商いから、製造をも行うようになり、売る商品を増やすことができました。
販売から製造までを手がけたのは近江商人の中でもこの日野商人だけであり、日野商人の最大のアピールポイントがこの排斥事件という最大の危機で生まれたことになります。
行商から店舗を持つとか、販売だけではなく製造まで行うという新たな発想で排斥事件というピンチを乗り切った日野商人たち。
しかし1番のピンチは、「事業を承継していかなければ自分たちの代で商店は終わる」という点でした。この点に気づいた日野商人たちは、独創的な仕組みを考え出します。
商店を「継続させる」ために生み出された、独創的な仕組み
「サスティナビリティ(持続可能性)」というキーワードが国際的に拡がっています。
子供達や孫達にこのままの地球環境を残す考え方と捉えれば、自ずと自分たち世代が何をしなければならないのか、答えが出てくると思います。
次の世代に繋いで行くという考え方は大事な事だと分かっていながら、「今さえよければ」でやってきた結果として、様々な問題が起きています。
地球環境破壊、国家財政危機、経済的二極化、そして先進国で進む少子化と高齢化、さらには企業の後継者問題などがあります。
この企業後継者問題についてみれば、2025年までに約127万社の中小企業が後継者不足のために廃業すると言われ、このまま放置すると、2025年までに累計650万人の雇用が失われると中小企業庁は発表しています。
ここまで後継者問題が深刻になってきたのは、親子承継、親族承継に限界がきているからです。
これは、動物病院業界も例外ではありません。
このピンチをひっくり返した日野商人たちが次に考えたのは、商店を次世代に残していくためには何をすべきかでした。
そのために3つの独創的な仕組みを考え出しています。
1、仲間、組合をつくること。
2、店の規模をあえて大きくしなかったこと。
3、家訓、店則を文章で残すこと。
日野商人たちがどんな独創的仕組みを考え出したのか、次回により詳しくみていきます。
近江日野商人の歴史には、ピンチを迎えたこの動物病院業界を救う大きなヒントがあった!!! その3・4
取材協力/ 近江日野商人館
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