動物病院 を100年以上残すために、私がやったこと

公開日:2019年10月03日
この記事はメディカルプラザが制作・監修した「サクセッション - 獣医師向け動物病院の承継開業の情報サイト」上で連載された記事を本サイトへ移行したものとなります。

動物病院 業界が考えるべき理念と将来

小動物の動物病院ができたのは、戦後になってからである。

現在の80〜90歳代の院長がこの動物病院業界を作られた第一世代。

つまりは、この業界が生まれて100年に経っていない中で、「病院は最低100年、存続させなければならない」との想いを抱いて開業し、実際に事業承継を行った元院長がいる。

どのようにしてこの100年以上病院を存続させるという発想が生まれたのか、

その理由をお聞きした。

 

◇100年残る動物病院にするためにやったこと

 

西川:ヒトの病院ですと、順天堂のように江戸時代から続く病院もありますが、小動物の動物病院は戦後から始まりました。まだ100年も経っていない業界ですが、先生は100年残すために、事業承継によって引退されました。まずはこの引退に至るまでの経緯をお聞かせください。

元院長:まず「100年残す」という私の発想は、開業した当初からの考えでした。「1院長=25年×4代=100年」という事業承継を想定し、開業したのです。

つまり、ひとり(一代)の院長が25年間院長を務めれば、それが4代続けば病院は100年間存続できる、という発想です。

なぜ25年かと言うと、25年間ならどのようなことがあっても何とか病院を運営していくことができると思ったからです。きちんと病院事業を次の世代にバトンタッチするためには、後継者と伴走する期間も必要です。また、もし万が一承継した院長に何か不測の事態が生じても、その次の院長に事業を承継するまで辛うじて自分がカバーすることができる期間、それが25年でした。

25年も経てば、医療技術の進化などで時代の変化についていけなくなる可能性もありますし、健康上の問題が生ずる可能性もあります。そして何より、開業時のモチベーションが維持できなくなる可能性もあります。そのため私は開業当初から25年を一つの目安として、60歳までには必ず病院を承継すると決めていました。実際には、様々な理由から53歳で引退することになりましたが。

 

西川:開業時から自分の引退時期をすでに設定していたのはなぜですか。

元院長:私は父も兄もサラリーマンでしたので、ゼロベースから開業を設定しなければなりませんでした。

開業にあたって私が一番こだわったのは、場所でした。東京出身なので東京で開業するのが普通かも知れませんが、そうはしませんでした。開業にあたっては人口密度、競合病院の数、患者さんの見込みなど、マーケティングデータに基づいた場所選びをするのが鉄則です。しかし私は、「自分が将来、骨を埋めたいと思える場所で開業しよう」と考えました。日本全国どこでも良かったのですが、最終的には出身大学のある関東を選びました。この場所の選定には、2年以上の時間をかけています。

結局、経営上の理由ではなく事業承継後に住み続けたいと思える場所で新規開業すると決めたので、私はこの地で生まれ育った方々より地域に対する愛着が強いかも知れません。この場所が良いと思って移住してきたわけですから、地域に対する想いは地元の人達よりも強いと感ずることもあります。

また、「小動物医療を通じて地域コミュニティーに貢献し続けること」が私の創業時の理念であり、今でもそれは変わっていません。

開業当初より私は「自分の住む地域で何かの役に立ちたい」と考えていたので、自然に最低100年は病院を続けなければならない、という発想になったのかも知れません。

 

西川:動物病院は個人経営なので、多くが個人名を病院名に付けていますが、先生は社会性を重視していたため、病院名もこの地域の名称を付けておられます。

 

元院長:そうですね。私が開業当初から意識してきたことは、どう発展させるかではなく、どうすれば継続できるか、と言うことでした。

100年病院を継続するためにはどうすれば良いのか。経営者の一番大切な仕事は後継者選びであるとも言われるように、後継者選びには特に重点を置いていました。

後継者は、自分の親族から選ぶよりも第三者から有能な人材を選んで承継した方が、病院が存続できる確率がずっと高くなることは分かっていました。この地域社会に貢献し続けられる病院であるために、病院名もそのまま残し、この第三者事業承継をお願いしました。

 

西川:第三者から後継者を選ぶ際に重視したのはどんな点ですか。

 

元院長:獣医師としての知識や技術は当然のことではありますが、しかし最終的に最も重視したものは、「人間性」です。

次期院長には私の開業当時からの想いを伝えるため、事業譲渡の契約書とは別に、今後も伝承していって欲しいことを書いた「覚書」を交わしました。

もちろんこれに法的な拘束力はありませんし、承継院長がそれを全て理解し同意してくれる保証はありません。しかし将来、彼が事業承継を考える年齢になった時、何らかの指針あるいは参考になればと思い、書いて渡しました。

格好つけた言い方を許していただけるのであれば、私が承継したかったのは病院や事業ではなく「理念」であった、と言うことを理解してもらえれば、それが自分の考える理想的な事業承継です。

 

西川:これまで160件以上の承継事例がありますが、院長の理念を伝えるために、口頭で伝えるケースは多々ありますが、覚え書きを交わした事例は今回が初めてです。

100年を超える長寿企業を研究していますと、これら企業に共通しているポイントは創業者の理念を次世代にきちんと文面で残して伝えていることです。

先生がこの理念を伝えることにこだわった理由はどこにあるのでしょうか。

 

元院長:動物病院に限らず、どのような事業でも必ず浮き沈みがあります。常に上昇し続ける事業はありませんから、私はこの病院を存続させることを何よりも大切に考えて欲しい、というメッセージを次期院長に託したのです。

初めて経営に携わり、しかも既存のスタッフや患者さん達と上手くやりながら病院を運営していくことは、私には想像できない苦労があることでしょう。そして承継直後は、業績を上げることのみに精一杯になるのかも知れません。恐らく私の言っていることは、すぐには理解できないのではないかと思います。

ただ、次に病院を承継するまでには様々な事があるはずです。経営に行き詰まったり悩んだり迷ったりした時、私の送ったメッセージが何かの役に立ってくれれば嬉しいと思っています。

 

西川:一般企業でも、この理念が活きて来る時は不況で経営難になった時ですから。

 

元院長:新院長がこの病院を「自分だけのモノ」と考えるようになったとしたら、それは私の人選ミスだったと言うことになると思います。

新院長には、継続していくためには何が必要なのか、そして次にバトンを渡す獣医師のことを常に意識して、病院運営をして欲しいと思っています。

 

西川:次の世代に病院を承継していく点については、新院長は納得されていました。

 

◇なぜ 動物病院 を100年継続する、という発想になったのか?

西川:「100年病院を残す」という考えに至ったきっかけは何だったのでしょうか。

元院長:「社会の役に立つ人になりなさい」と言うのが、私の父の口癖でした。そして父の座右の銘は、仏教用語にある『忘己利他』。つまり「我を捨て他者の為に尽くす」というもので、この言葉を実践している人だと思います。

私は父のことを尊敬していますが、ただこの言葉を昔からあまり好きではありませんでした。自分のことはさておき、誰かのために生きる... 私には、自分を大切にしない=自分を幸せにできない人が、他の人を幸せにできるとは思えなかったからです。

「自分らしく生きる」ことが一番大切だと私は思っています。その意見に父は、自分さえよければ良いのではない、自分勝手に生きていては幸せにはなれない、とよく諭されたものです。

ただ、自分らしく生きると言うことは、自分さえよければ良い、と言うことでは決してありません。自分が大好きで嬉しい、楽しい、と思いながら仕事をすることが真に社会のためになる、と私は信じているのです。

この意見を言うと多くの人が、人生はそんなに甘くない、仕事は楽しいだけでは務まらない、そんなのは理想論に過ぎない、と言います。そして、早期リタイアした自分を「自分勝手」と言う人もいます。

しかし、自分「さえ」よければ良いのではなく、自分「が」よくなることが他の人をも幸せにする、と私は信じています言うなれば、「活己利他」が私の信条です。

 

 

西川:引退した多くの院長が同じように言われていますが、事業承継で引退された元院長は自分の病院を社会のものと考えて、きちんと次世代に残していく行動をされています。私はこの事業承継でできる限り廃業する病院を減らしたいと考えています。自分の病院=自分のものと捉えている先生は自分ができる限りは院長を続けて、体力等でできなくなったらやめたらいいと考えられています。これは院長先生にとっても、病院もとっても、スタッフ、患者さんにとっても残念な結果にしかなりません。

先生は、開業時からこの病院は地域社会のモノだと捉えられて、自分は引退して病院を他者に繋いで行こうとされています。これはやはりお父様の言葉の影響が強いのではないでしょうか。

 

元院長:そう言われると、確かにそうなのかも知れません。私は父とは人生観が相反すると考えていた時期もありましたが、こうして実際に病院を承継し次世代に引き継いでいくことは、長い目で見れば利他の精神に合致するものであるような気もします。そう考えると、病院を100年継続したいという発想の根源には、父の影響があるのかも知れません。

◇獣医師の引退を決めたきっかけと引退後の生き方はどうする?

 

西川:先生は25年間で院長を引退することは開業当初から予定されていたと思いますが、具体的に引退を決断させた出来事は何だったのでしょうか。

元院長:事業承継しリタイアすることは初めから決めていました。したがってあとはそれをいつにするか、と言うことだけだったのですが、40歳代後半になった頃から、臨床の仕事が心から好きで楽しい、と言える自信がなくなってきました。

それは体力的な衰えもあるかも知れませんし、自分の獣医師として限界が見えてきたからかも知れません。もちろん、臨床の仕事は今でも嫌いではありませんし、あと10年、15年は普通に働くことはできると思います。

人生はよくマラソンに例えられますが、50歳を過ぎた頃から、自分は間違いなく人生の復路に入った、と実感することが多くなりました。時間外の急患にストレスを感ずるようになったり、通常の診察でも基本を蔑ろにし、経験的な判断から治療を進めてしまったり、そんな自分を自分は許せませんでした。

人間ですから、体力的な衰えやモチベーションの低下は、ある程度は仕方のないことなのかも知れません。ただ自分としては、そのようなメンタリティで現場に立つことはプロとしては失格である、と判断したことが一番の理由だと思います。

 

西川:40代後半で引退を決断される先生とそうでない先生との違いはどこにあると思われますか。

 

元院長::私は自分が大好きなことをやってこれからの人生を歩もうと決断し、院長を辞めることにました。生活のため、家族のため、世間体のため、借金のため、様々な理由で現在の仕事を続ける人は、獣医師に限らず少なくないと思います。

私にしても、今後の不安が全て払拭されてリタイアを決めたわけではありません。ただ、立ち止まっていても現状を変えることはできませんし、不安はあるものの最終的には何とかなるだろう、と言う根拠のない自信のようなものはあります(笑)

 

 

西川:先のことはわからないので不安があるのは当然ですから、そこで「なんとかなる」と思えることで、独立とか、引退とか、踏み切れる決断力が出て来るように考えられますね。先生は引退後のこれからは何をしようとお考えですか。

 

元院長:私は学生の頃から、海外で活動したいと言う希望がありました。ですので今後は日本を出て、自分に何ができるのかを違う視点から見つめ直してみたいと考えています。リタイアメントを具体的に考えるようになった頃から、少しずつそのための準備もしてきました。

私は人生というマラソンの復路に入っていますが、往路を走っていた時に感じていたワクワク・ドキドキをもう一度取り戻すために、何か新しいことを一から始めてみたいと考えています。それは仕事とは限りませんが、自分が大好きで本気で取り組めるものが見つかれば、早期リタイアは大成功だったと言えるのではないかと思っています。

 

動物病院を100年以上残すために、私がやったこと

匿名元院長(関東地方)

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